事務局ブログ

桑原先生が40周年記念誌にご寄稿下さった文章です。

学生時代の思い出~お世話になった先生方   3期生  桑原幹夫

 昭和48年入学と同時に入部しました.高校時代はアメフトをやっていましたが、大学にはまだクラブもなく、防具をつけずに生身でぶつかり合うラグビーに魅力を感じたからです。記念すべき第1回の神奈川歯科大との練習試合にフルバックで出場できる幸運に恵まれました。70対0で負けました。当時はトライが4点の時代でした。続く第1回の公式戦は、保土ヶ谷ラブビー場での神奈川大学選手権でした。関東大学リーグ戦2部上位の横浜国大が相手でした(関東学院は春口先生が来たばかりでまだ3部下位)。この試合ほど疲れた試合はなかったです。130対0で歴史的屈辱的敗退でした。トライ後もゴールは狙わずにすぐにボールを抱えてやってきます。休みなくタックルのしどおしで両肩が赤く腫れあがりジャージを脱ぐのに難渋しました。その後も何度となく練習試合に臨みましたが、なかなか得点することもできませんでした。初トライは北里大との試合でよく覚えております・というのも私が記念すべき(?)トライを決めてしまったからです.左プロップで出場し相手ボールのスクラムでこぼれ球を拾い上げ無我夢中でゴールに飛び込みました。帰りの車の中でいつもクソミソに私をけなす荒瀬先輩に「感がいい」と褒められ、これからずっとラグビーを続けようと決心しました。初勝利は2年後の神奈川大学選手権でした。相手は初参加の麻布獣医大でした。スコアはわかりません。スコア-ブックや練習計画・ミーティングのノートを後輩のA君に保管してもらっていましたが彼が引っ越しの際にどうやら紛失しまったそうです。練習はたまに富国生命グランドを使わせてもらうこともありましたが、7-8人しか集まらないので、石コロだらけグランド(救命救急センターが建てられる前の空き地)で十分でした。私はラインアウトのスロワーでしたのでゴールポストにジャンパーの高さに合わせて古タイヤを取り付けスローイングの練習をしました。

夏合宿も少人数で主に信濃大町で練習しました。雨が続くことも多く木崎湖へのマラソンと夜のミーティングと宴会の日々で、十分な練習はできませんでした。医歯薬リーグ戦は現在のように交代はできませんでした。出血や負傷してもヤカンの水をかけてもらい頑張るか人数を減らすかありません。試合でやっと15人揃う状況でしたので度々負傷者が出るので相手より少ない人数での試合を余儀なくされました。入れ替え戦へ進むことなく、ずっと最下部に甘んじていました。東医体は冬季部門で11月に行われており、学園祭と重なり大学も休みでした。弘前大や岩手医大が主管の時は試合を早々に引き揚げ小岩井牧場や恐山でひとときを過ごしたのも楽しい思い出です。私の現役6年最後の公式戦はウイングで東医体でした。勝てず結局東医体では一勝もできませんでした。平成10年の3位は信じがたい成績です。学生諸君の努力の賜ですが、石井信輝先生のおかげに他ならないの思います。先生は我が校の学生の能力に合わせて基本的なことからしっかりと御指導して頂き、学生のタックルなども危なげなプレーがなくなりました。当時東医体で六年生の脊髄損傷など起こり安全対策の必要性を医歯薬連盟でも検討されておりました。連盟理事、0B会長の立場からも先生にきて頂き深謝いたしております。医歯薬リーグでも現在2部で我々0Bの長年の夢、1部昇格も今や時間の問題となりました。創部間もない時代の者には考えられないことです。

 さて、創部40周年を迎えるに当たって私がお世話になった方々について感謝の意をこめて表したいと思います。まず、主将、卒業後は監督、OB会長を努められた荒瀬一巳先輩、飯田 順先輩先生や父親同志が偶然にも同級生であった守屋仁布先輩、同級性の根岸 了君、正木久朗君に出会えたことは私の生涯の宝です。そしてなによりも、我がラグビー部に多大な貢献をして頂いた三人の先生方の思い出をお話いたします。

渡辺直樹先生

初代の部長でドイツ語の講師したが、2年後に退職され弘前大に入学されました。精神科を専攻され、マリアンナにもどられました。私は学生時代には2度程、ご指導頂きました.先生は留学時代にドイツ代表となられとそうです。その実力はOB戦での動きをみればうなづけると思います。

福山博寿先生

 初代のコ-チ。芸名 「福山象三(ショウゾウ)」として映画「網走番外地」シリーズやテレビ「水戸黄門、舞台「アマデウス」等に出演された名悪役俳優です。無償で御指導で手取足取り御指導頂きました。1年の夏合宿のたまたま、テレビをつけたら、大川橋蔵の「銭形平次」親分役出演されたのびっくり皆で見ました。先生は「役者とラグビーは麻薬みたいで一度やったらやめられない。俺はマリアンナの北島だ」と口癖でした。我々の不甲斐ない成績のため、大学からでは遅いので先生はラグビースクールを設立されました。誠に残念ながら、平成11年胸腹部大動脈瘤破裂のため67歳で逝去されました。                        

中田幸之介先生

  先生にお世話にならなかったOBはまず、いないと思います。いつもラグビー部のことを考えて頂き、厳しく、ときにはやさしくご指導を賜りました。部員の数々の不祥事にも親身になって対応され、尻ぬぐいをして頂きました。 いすゞベレットで電光石火のごとくグランドに乗り付け試合内容にあきれてハーフタイムで檄を飛ばしたかと思うと、ご立腹されたかご多忙のためかすぐに姿を消されました。先生のお計らいで昭和の長津田グランドで合同練習をいたしました。昭和の方から「中田先生が部長?。おまえらよく生きてるな」と笑われました。春合宿が伊豆の時は御実家が沼津なためか御指導頂きました。ある時ことですが、腿上げでダッシュする練習が先生の得意とするところで、「走れ」と大声をあげて棒きれを拾い挙げ我々を追っかけ尻を叩かれました。チックとした痛みを感じました。さび釘が棒の先についておりました。先生はお気づきではなかったのでしょう。

先生方、本当にお世話になりました。ありがとうございます。

(2014年05月01日)

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